内山氏 3点コメントする。スキルについての問題。不注意なのか、という単純に扱っているが、心理学では、更なるふくらみがある。単なるスキルではなく、人間の感情にも含まれている。感情の制御を教育することで、スキルの教育も可能なのではないだろうか、と指摘する。
規則を守るか、という問題が2点目。交通法規違反を否定する態度についての質問と、交通モラルの問題。意図と結果のどちらを重視するのか、という問題である。1965年から1985年、1985年にかけて、事故の結果を重視し、法律の遵守を軽視する傾向がある。どのように、法律を守ろうとする態度を涵養するべきか、という問題である。
英国では、シートベルト。飲酒、スピードを重視していると理解した。日本では、信号、スピード、飲酒を重視している。シートベルトは、法制化が最近であり、重視していない。信号無視と無免許運転については、許容度が常に低い。スピード違反に対しては、許容度が上がっている。飲酒運転は許容度は下がっている。これは、法令化の影響ではないか。シートベルトは法令化が遅かったので、データが最新しかない。2005年にも調査を行いたいが、シートベルトの許容度に関心がある。日本の重点は、シートベルトを加えるべきではないか。また、イギリスで信号に対する許容度が低いのはなぜなんか、伺いたい。
小川氏 心理学の立場から考えることが多い。ヒューマンエラーのモデルは有用であるが、このモデルは、産業の事故防止を扱ったモデルである。作業条件が限られた場面のモデルではないだろうか。これを運転に当てはめた場合は、自分で、課題を設定する行動である。ドライバーのモチベーションの問題が大きいのではないか。若い人が、仲間と同乗し、スピードに快楽を求める、という動機がある限り、事故を防ぐのは難しい。動機に対して、どのようにアプローチするのか。状況の解釈、認知のプロセスがドライバーに必要である。危険予測の教育として扱われる内容であろう。
一方で、スキルベースのエラーに対しても、そのエラーを減らす教育手法はないのだろうか。
年齢別に焦る気持ちになるのか、という分析すると、若い人が焦り、イライラする傾向がある。となれば、経験がものをいうのではないか。学習の効果があるとしたら、教育の可能性があるのではないかと感じている。ストレス対処法の問題ではないだろうか。言い訳をあらかじめ作っておいて、対処をしやすくするというのは、ストレス対処法の資源を増やすことになる。
どういう行動にターゲットを絞るのか。事故類型としてみた場合のターゲットは、追突事故と出会い頭事故が多い。高速道路の車間距離を観察した。走行車線は、安全とされる2秒を切っている。一向に改善できていない。走行車線は、更に車間距離が縮まる。車間距離を一つのターゲットとするのは考えられる。これを教材として使用したいとして車間距離を観察した。自分がどの程度の車間距離で走っているのか、を実感するためである。認識を客観的にできると思う。
ペタソン氏 日本で違反を認容するようになっているというのは、他国でも問題になっている。これには、取締りしかないと思う。教育を活用して、技能に基づくエラーを減らす、というのは、その通りだと思う。道路利用者の状況が、この種のエラーに大きな影響を与えている。飲酒や疲労が、この種のエラーに影響を与える。個人の視点からの便益を示すことができるということだった。
また、このモデルではモチベーションを理解することはできないが、それは重要ではないのではないか。戦略的な形で知識ベースの行動に結びつける必要がある。
ライナム氏 イギリスでは、違反について研究が行われてきた。いかにして、違反行為、無謀運転を法制面の整備を行った。違反行為とその結果との関連で、どの程度まで、危険と見なされるか、ということで法文を変更した。罰則も変更されたが、未解決として残っている。違反行為と事故の確率として導くのが、難しい。被害者グループが、事故の結果に注目すべきだと訴えている。
信号無視は、問題なのか、という質問があった。出会い頭の事故の質問もあった。それだけを取り上げると、イギリスでは事故と結びつくことはあまりない。それは、ロータリーの存在である。高速で通過させず、直接右折もさせない。スウェーデン、オランダ、フランスでも、ロータリーが導入されている。ロータリーの設計を他国から学ぶ状況にもなっている。イギリスには赤信号の監視カメラがある。これは、ドライバーに対して、周知されているので信号無視をしなくなっている。追突事故も、高速道路では、高い率を示す。他の道路では違う。イギリスの道路は、車間距離を詰めるような構造にはなっていない。高速道路では、取るべき車間距離を示す標識がある。車間距離が短いと警告を出すシステムもある。
個別の車間距離を、多車線道路で測定する装置もあるが、測定には技術的には難しい問題もある。こうした装置の利用は、制度化されないだろうか、リスクが高い道路では導入の検討が必要である。
西山氏 交通参加者は、幼児から高齢者まで、広範囲である。ここでフロアから、幼児と高齢者の安全を提言してもらいたい。
フロア参加者 これから運転する子供たちが、どう扱われるのか、そういう議論がなかった。具体的な話を聞きたい。
フロア参加者 札幌市は、幼児を対象に交通安全教育を行っている。児童の安全意識は高いが、大人の悪い部分を見て、態度が悪化する懸念がある。法体系と実情の乖離の対処を心配している。
ライナム氏 幼児教育を何歳からするべきか、イギリスでも議論があったが、6歳、学齢期から教育を始めるべきという認識が定着した。6歳からは早すぎるという意見もある。イギリスでは、安全な横断場所を探すという問題もある。
これは児童には難しい課題となっている。学校やボランティアが、実地訓練を行っている。成長につれても、維持されるか、という問題は、成長するにつれ、責任感も生まれ維持される。年上の子供たちが、より小さい子供たちのお手本になり、勉強する、というプログラムもある。思春期を迎えると、自分の思い通りに行動するようになる。12歳前後の児童が最も多い。その要因を解明することが必要である。仲間たちと行動するので、不注意になりやすい。授業内容も変更しなければならないという意見もある。英国では、思春期の子供たちの行動が、交通安全に限らず問題と認識されるようになっている。大人たちの行動が、見本になっていない。子供たちが成長しても、行動の責任を持つような教育が必要である。
ペタソン氏 教育は専門ではないが、意見を持っている。スウェーデンでは十分には行われていない。特に、この10年前後はそうである。教育手法を開発するだけでなく、その評価法を開発することである。教育には投資が必要である。その効果がわからないと導入は進まない。人間の行動は教育だけで変化させるわけではないが、運転者の教育を一般の学校に導入できないか、という議論がある。コストがかかることであるが。
西山氏 教育が大切である。そして制御、規制が大きな要因になっている。車両と運転者、道路環境という3つの要素もある。三角形にはバランスが必要である。三角形をいくつか、集めると、その安定性は高くなる。三角錐の中は空洞であるが、そのなかには、ヒューマニズムが入るべきだろう。交通安全対策はバランスが取れている必要がある。 |